親と歩く23 白山に登拝すると云われる神馬を前に

2013年9月24日

今月2回目の両親との外出。今回は、国道157号線沿いにある「白山比咩神社」に参拝です。

 

今回は、和歌山田辺市での講演を終えた翌日、紀伊半島を一周するという計画を実行し、潮岬、橋杭岩、那智滝、熊野速玉神社などを巡って尾鷲泊まり。

翌日には、福井に戻る予定でしたが、時間があると思って知多半島に足を延ばしたものの、思ったより時間がかかり、さらに一泊。

翌日は、瀬戸市で「招き猫ミュージアム」という面白い施設を見てから福井に向かいましたが、いつもの高速は通らずに、岐阜本巣市から福井大野市に抜ける国道157号線~最も危険な国道と言われるルートを選択しました。

 

今年の5月に一度通ろうとして、冬季閉鎖の表示で諦めた道でしたが、今回は天気もよく、チャレンジとなりました。車一台がやっと通れる場所でガードレールなし、しかし数十mの断崖という場所も何か所もあり、確かに噂通りの道でしたが、無事に県境の峠を越えて自宅に到着しました。

到着後、翌日の予定を両親と話をしましたが、「せっかくなら、国道157号線を最後まで・・」と、国道沿いにある加賀一の宮「白山比咩神社」を行先に選択しました。

 

さて、本日、石川、福井、岐阜の3県にわたって高くそびえ、古くから霊山信仰の聖地として仰がれてきた白山麓を通る国道157号線を、1時間以上走って昼前に神社に到着です。

移動の車内では、25年程度前に、母親が、当時健在だった祖母と義妹と3人で白山麓の温泉に行き、足腰の弱った祖母と一緒に全員が洗い場で倒れた話を繰り返していました。母親は当時の祖母と同世代、私は当時の母親と同世代ですが、今のところ、当時の祖母よりは、母親は元気なようです。

 

神社の由来によれば、白山への信仰は登拝という形に変化し、山頂に至る登山道が開かれましたが、この神社は、加賀(石川県)からの登拝の拠点として長く栄えたとの由。今年、配偶者と一緒に行った東京の白山神社(東京十社)をはじめとする、全国3000社の白山神社の総本宮です。

日差しは強いのですが、胸高周り約5m、樹高25m、推定樹齢約1000年といわれる大ケヤキをはじめとする木々が生い茂り、涼しい風が吹いてきます。境内には、白山山頂の奥宮を拝む遥拝所(白山の代わりに岩が鎮座)があったり、延命長寿の霊水として名高い白山水系の伏流水が出ていたりと、この神社ならではのものも多いのですが、両親は、神馬舎の前(写真)で、長く佇んでいました。

家が貧しかった頃、父親は地方公務員でもありましたが、家業の農業のほか、大工をする(福井の実家は父親の作)といった3つの仕事で生計を守っていました。宮大工にもなれると言われた父親は、神馬の出来栄えに関心を持ったのでしょうが、白山麓の大ケヤキ(直径数m)を素材に作成された、この神馬は白山比咩大神を乗せて白山に登拝するといった由来を見ては、神馬を眺めることを繰り返していました。

 

神社を出ようとすると、母親が遠くに動くゴンドラを見つけました。「あれに乗るか? 冥途の土産に」と聞くと、しばらくはグズグズしていましたが、結局は乗ることに。

獅子吼高原に登るゴンドラに乗ると、急に揺れたと母親が悲鳴を上げ、動揺した父親は動き出し・・4人乗りの小さなゴンドラはさらに揺れて、さらに母親が狼狽える・・となりました。しばらくすると母親は落ち着いたようですが、「いつ死んでもよい」と、いつも言っているのに、いざとなると動揺する姿を見て私は思わず苦笑い。我を取り戻した母親に、「年をとっても死にたくないらしいね。」と言うと、両親とも笑っていました。ゴンドラ内で写真もとりましたが、なかなかよい表情でしたので、もしお亡くなりになれば、葬儀用の写真になりそうです。

 

最後に近隣の日帰り温泉施設に行き、汗を流しましたが、帰ろうと車が動き出すと、急に母親がせき込み出しました。車内で残っていた缶コーヒーを飲もうとしたらしいのですが、動いたはずみに、液体が気管に入ったとのこと。この面では、確実に衰えが進んでいるようです。

もう少しで、ゴンドラ内で撮った写真が使われる場面になったかもしれませんが、事なきを得て、一路、福井に向かいました。