親と歩く13 玄関先で転倒~母親が圧迫骨折に

2012年11月26日

今月前半に、母親が自宅の玄関先で転倒し、腰の圧迫骨折と診断されました。

 

東京の仕事を終えて福井に戻り、一つの会議を終えて、次の会議までに時間があると自宅に寄ったところ、居るはずの両親が不在。

どうしたのか?と思っていると、父親が蒼い顔で帰ってきて、「(母親が)大変なことになった。玄関先で転倒して医者に行った。」との由。

 

すわ入院かと思いきや、顔面蒼白の母親が杖をついて戻ってきました。

聞くと、頭に大きなコブがあるが脳には問題なし(MRIで診断済み)、腰部の圧迫骨折で年内には何となるだろうとの診断とのこと。

 

母親は、玄関先で小屋から持ってきた家具を拭こうとして転倒し、タイル部まで転落した模様です。

東京の住宅のリビング程度の広さのある玄関という、田舎の家ならではの事故かもしれませんが、こうした転倒・転落のリスクは病院・施設でもよくあります。我が家では、今年の夏に自宅の床を張り替えた際に、玄関の上り框が20cm以上の段差であったものを階段状にした(写真)ことから、この程度の負傷で済んだのでしょう。

一応、リスク回避の最低限の自宅改造も、少しは役に立ったようです。

 

こうした状態であることを、それとなく両親と断絶状態の姉に連絡が行くようにしたところ、数日後に、姉が、当方が関わる㈱YOUさぽーとの支援を受けて武生菊人形を見学した帰りに、母親をお見舞いに来ることに。約3年前に姉が倒れた後、退院後1年くらいで折り合いが悪くなり、母親と姉との友好的な対面は約1年半ぶりです。

ピンチをチャンスに・・当方のファミリーマネジメントも一応は成功です。母親も「怪我はしたけど、それ以上に良いことがあった」と、喜んでいるのか痛いのか、両方が混じっているのでしょうが、涙を流していました。

今後も、たまには会うとよいのですが。

 

その後、父親には、「何かやって欲しいと言われたら、四の五の言わずに、『はい、わかりました』と言いなさい。」と、また、「何でも自分でしようとせずに、YOUさぽーとの齊藤社長に相談しなさい。」と言い置き、

一方では、斎藤社長には、「通院の支援と入浴の支援」を内々お願いしつつ、加えて必要があれば買物・洗濯の支援もと、利用者と事業者のマネジメントをしての東京行きです。

ほっておくと、真面目な父親は何でも自分でやろうとして、疲れて喧嘩になったり、倒れたりとのリスクがあると見たからです。結果は、通院と入浴は支援する(公費助成を受けない有料サービス)ことになり、買物・洗濯は父親が自分でやることになりました。まずは、一安心です。

 

10日ぶりに福井に戻ると、予想以上に回復の速度が速く、母親は、家の中を歩行器なしで歩いています。しかし、「床に落ちていた猫の毛を捨てようとして、また、転びそうになった。」と危なっかしい感じです。

また、老夫婦との会話も、父親は「(母親から)何でもかんでも、あれはどう、これはどうと言われて、『はい、わかりました』とは言えない。」、母親は「(父親は)年よりなので、ちゃんとやっているか、心配でしようがない。」と、傍で見る限り微笑ましいものです。

二人が健在だからこその会話ですが、こうした会話も、近所に知人・親戚がおらず、役立たずながらも私が同居していないと、「とげとげしく」なり、精神的な問題へと発展していくのでしょうか。また、介護が長期化すると、仮に制度を活用しても、同居家族の心身の負担が高くなることも容易に実感できました。今後の高齢社会の実像の深刻さを垣間見たような気もします(制度活用に関して感じた問題は12月の通信で)。

 

今回は、外出はありませんでしたが、母親にとっては、「姉と久しぶりの対面」という、良い月になったようです。

私には、夫にあれこれ指示する特徴は母親と姉に共通=母親と姉は似た者同士 と発見した月になりました。